先日、長周新聞紙面にも掲載された「公用タクシー券の不正使用を許さない市民の会」の提言を受け、亀田議長及び市議会事務局長に再度見解を伺ってきました。もうじき任期も終わろうかというなかで、この問題について追及してきた一人の市議会議員として、事の是非を曖昧にしたまま1期目の幕を下ろすわけにはいかない、過程で生じた不当な議会ルールをそのままにして終われないという思いで動いています。下関市内を回っていると、市民のみなさんから、「議会の(公用)タクシーチケット問題はどうなったのか?」「誰が考えてもおかしい。うやむやにしないでほしい」と声をかけられることが増えました。したがって、この間公用タクシーチケット問題から始まった一連の出来事について、支持者のみならず、広く市民の皆様にご報告することにしました。
歴代の市議会正副議長が公用車の代用として使っている公用タクシーチケットについて、公務だけでなく飲み会の帰りなどにも使用していた実態が明るみになり、そのことについて一般質問で質問をしようとしたのが令和2(2020)年6月のことでした。そのさい、議会(議会運営委員会。無所属は委員に入れず)で突如「ルール」がつくられました。「一般質問等の質問における議会に対する発言通告は、これを受理しない」(先例85-1)という一文です。
この先例85-1により、タクシーチケットの運用実態や運用規程について、私は「議会」に対して質問することができなくなりました。それだけでなく、この一文をつくったことで、議員が議会費(予算執行)に関して本会議の場で質問をおこなうことができなくなるというおかしな事態になってしまったのでした。
まぎれもなくタクシーチケットに関する一般質問を封じるために、質問通告(議員は事前にどのようなテーマで一般質問するのか通告し、その後執行部の関係部局から質問点について聞き取りがおこなわれる)を受けてにわかにつくられた先例なのですが、大きな問題をはらんでいます。下関市議会で決められた先例85-1を決めるときに「参考」として用いられた衆議院先例427には、「議長に対する質問書はこれを受理しない」となっています。議員の質問先は内閣(執行機関)であるから、議長に対しては質問できないというものです。当然の内容です。しかし下関市議会の先例は、議員が執行機関に質問する権利をも剥奪するもので、これは地方自治法上大きな問題です。
このことを指摘し、早急に廃止を求める意見書を亀田議長に提出したのが今年の8月8日でした。そのさい8月19日までに返事をして頂けるよう求めた(遅れる場合はいつになるかを教えて頂ければいいともお伝えしました)のですが、19日になっても返事がありませんでした。仕方がないので議長室まで出向き、「来週末には返事をする」との回答を頂きました。しかし「来週末」にあたる8月26日になっても音沙汰がなく、再度議長室まで行き、その日の夕方に面会しました。
亀田議長に意見書の件はどうなったのかを聞くと、驚くことに「答えられない」というのでした。先に述べている先例があるからという理由です。先例の内容については指摘させて頂いている通りですが、先例にある「一般質問等」の解釈を拡大し、議会外での議員個人の申し入れに対しても適用するというものでした。その意味を理解するのにしばらく時間がかかりました。「一般質問等」とは一般質問、個人質問、代表質問のことを指しており(当時そのように説明を受けています)、拡大解釈が過ぎるのではないかと指摘しても「同じようなものだ」といって答えを頂けませんでした。しかしその後「みんなと相談する」といわれましたので、再検討をお願いしその日は帰りました。
亀田議長と岡本事務局長の対応
8月26日の議長との対談を経て、10月25日火曜日午前10時より議長室で亀田議長と対面し、先例85-1の廃止を求めた意見書がその後どうなったのかを確認に行きました。議長のお答えは「特段のことはしていない」ということです。議会運営員会にはかることもしていないといわれていましたが、その後、正副議長、議運正副委員長と9月定例会の前に打ち合わせをした結果、現状維持ということになったということが説明されました。そのさい、「先例は今季の議員が決めた先例であり、メンバーも変わっていないし、あえて今変える必要はないのではないか」という意見があったということです。違法性について指摘しているが、そのことは議論になったかどうかを問うと「なっていない」とのことでした。
その後、岡本善隆議会事務局長に先例について確認に行きました。岡本事務局長に関していえば、令和2年当時、提案者として先例追加について議会運営委員会で説明をされており、私も当時、先例についての説明を岡本事務局長から受けています。この間の私の意見書についても亀田議長が事務局に渡しているといわれていましたので、事務局長にきちんと確認をしておきたいと思い、亀田議長と対面ののちに事務局長に質問の申し入れをしました。
まず、事務局長は私のボイスレコーダーをとりあげ、「記者として来るなら対応しません」といわれますので、議員として来ているというと、「議員として来ているなら切ってください」といい、ボイスレコーダーをご自身の手元に置き、「触らんか見させてください」といわれました。私が、この件については裁判で争うつもりであることと、そのために一言一句正確に記録しておきたい旨を伝えたのですが、頑なに拒否されるため、メモで対応することにしました。
思い返しますと、8月26日に亀田議長と対談したさい、事務局長も同席されたのですが、ボイスレコーダーにご自身の声が入らないようにするためか、一言も言葉を発せられず、うなずくだけでした。ご自身の声が入るのがよほど嫌なのでしょうか。言質をとられまいとする対応のように感じました。みずからの発言に関してやましいことがないのであれば、正確に記録することは身を守ることにもなるのですが、どうしてそのように身構えられるのか不思議でなりません。
事務局長に対しておこなった質問と回答ですが、以下のとおりです。
質問① 公金を支出しているのに、その公金の支出目的、支出内容について、なぜ執行機関である議会事務局へ質問できないのか。その根拠は。
答え 事務局ではなく議会が議運で申し合わせにより決めている。事務局が決められることではない。根拠は先例85-1。
質問② 議会費の予算執行に関しては、議会事務局への質問は今後一切できないということか。
答え 決算委員会や総務委員会ではできる。議運の場でもオブザーバーとして委員長が認めた場合はできる。
質問③ 先例85-1は違法であるという認識は?
答え 違法という認識はない。
質問④ 先例85-1には「市議会事務局に対する質問」とは書いていない。議会事務局も含まれることも議運で決定したのか。
答え そうだ。議運で決めている。
以上がやりとりです。あくまでも「議会が決めたのだ」というスタンスのようですが、当時私も「事務局案」として説明を受けていますし、議運で説明しているのも事務局で、議運のメンバーも「事務局案で適当」などと発言しているのが事実です。その後になっていくら「議会が決めたのだ」といっても当時市議会議員の誰もが事務局案と思っていたのが事実なのです。
質問制限が正当化されてよいのか
私自身も、なぜタクシーチケット問題を一般質問で追及しようとすると、答弁すべき相手である予算執行者たる議会事務局(答弁に任を負うのは議会事務局長である)が知恵をひねり、そのような先例を加えるのだろうかと思っていました。ものの数日で質問制限のための新たなルールをつくり上げてしまい、あっけにとられたほどでした。こうした議員の質問制限が適法であるのか否かについては、もはや司法に判断を委ねるほかないのでしょうが、下関市議会においては正当化されているのが現実なのです。
令和2年から何度もこの件で話をしてきたのですが、タクシーチケット問題、先例集追加に関しては、当事者の議員も、かかわる事務局職員もタクシーチケット問題を大ごとにしないよう一致して動いているように感じます。議会事務局職員は議員を守らなければなりません。しかしそれは、都合の悪いことを隠蔽する、もしくは隠蔽に加担することではないはずです。議員以上に法律や条例を熟知し、議員が違法行為をすることなく市民のために力を発揮することができるようサポートしていくことが本当の意味で「守る」ことではないでしょうか。さまざまな議員がいるなかで、ときには大変な思いもされるのでしょうが、それが二元代表制を守る公務員の仕事でもあるはずです。
もうすぐ4年の任期が終わろうとしています。タクシーチケット問題、質問させないルールづくり等々、市民目線で考えると納得のいかないことばかりですが、相手がだれであろうとおかしいことはおかしいとチェックすることが議員の役割だと思っています。これらは本州最西端の小さな街における小さな問題かも知れませんが、是正すべきは是正するよう事が動かなければ、その小さな綻びから地方自治が崩れていくように思えてなりません。
下関は「私物化政治」が指摘された安倍晋三元首相のお膝元の選挙区でもあります。いかなる「私物化」についても公共性の観点から明確に線を引くべきであると私は考えています。だいたい、議長や副議長という要職にある方たちが、毎晩の飲み会帰りに公用タクシー券を使いたいだけ使っていたことが発端であり、非を認めて公金返還に応じれば済んでいた問題ではないでしょうか。
歓楽街からの飲み会帰りのタクシー代に1カ月で15万円(飲酒代は別)も浪費するお父様方が、この下関にいったい何人いるというのでしょうか。それが税金だから、議員だから許されるのだと開き直っていたのでは、市民の皆様からお叱りを受けるのが当然のように思います。