下関に暮らす全ての人のために機能する市政をめざします

本池涼子の決意

この間、後援会員の拡大に協力いただいたみなさまに、お礼を申し上げます。みなさんから紹介していただいた方方も含め、後援会に加入していただいた、さまざまな地域、年代、職業の方方のもとに伺い、可能な限り直接顔を見て挨拶してきました。そのなかで、日頃から感じておられることや、直面している課題、今の市政に対してどのように思っておられるのか、さまざまな意見を伺ってきました。

共通して語られていたことは、今の下関の状況への強い危機感でした。
かつては水産業を基幹産業とした商業の街として賑わっていた下関ですが、近年は年間2900人ペースで人口減少が進み、少子高齢化の進捗も全国に先駆けたものになっています。そうした右肩下がりの人口動態を反映して、空き家や廃屋が増え、同時に現役世代の都市部への流出にともなう人手不足も深刻なものとなり、産業や暮らしをどう維持していくのかが切実な問題になっています。このままいけば5年先、10年先の下関はどうなってしまうのだろうか、という思いを多くの方方がのべられていました。

人口減少がよその都市と比較しても著しいという事実は、よその都市と比較して、いかに定住するための条件が悪くなっているのかという問題を突きつけているように思いました。人口が減少すれば、経済活動の規模も当然縮小してしまいます。お医者さんであれば患者数、お寺さんであれば檀家さんの数、企業さんであれば取引先や対象とするお客さんの数が減り、飲食店といっても同じです。下関市役所も税収を失うことを意味します。個人の努力ではどうしようもない、抗うことのできない大きな変化がともなっています。このなかで、「どうにかならないだろうか」から一歩踏み込んで、「どうするべきなのか」の解を積極的に求めていくことが、これからを担う私たちの仕事なのだと思いました。

 

後援会員のみなさんとの論議を通じて、問題の根本にあるのは産業の衰退だと痛感しました。年配の方方に伺うと、戦中に要塞都市だった下関は、戦後は水産都市として復興を遂げ、東洋一の水揚げを誇ったこともあったそうです。その主力だった以西底引きがなくなってからというもの、下関大丸のもととなった大洋漁業は本社を移転し、駅裏の漁港市場界隈の衰退ぶりは著しいものになり、関連産業に従事していた人人の暮らしには随分大きな影響があったといいます。第1次産業である水産業が栄えたことによって、付随してサービス業や飲食業といった第3次産業が発達し、彦島や長府地域の製造業も高度成長とともに伸び、都市として発展することで周辺人口も吸収していたといいます。

産業とは何か、私自身、もっと厳密に勉強しなければなりませんが、下関で暮らしていくためにまず仕事があることが大前提であり、家族を養い、子育てや親の介護を安心してできる環境がどうなっているのか、街の来し方をあるがままに捉え、これからを考えなければならないと思いました。後援会活動を通じてお話を聞くなかで、ある年配の方から「過去は変えることはできないが知ることはできる。未来は知ることはできないが変えることはできる」という言葉を教えていただきました。上り坂、下り坂があるのは当然ですが、急激な下り坂を転落しているような状況のなかで、過去を知り、その結果である今をもっと知り、未来を変える力にしていくことの大切さを感じました。そのためにもっと勉強しなければ役に立たないことも自覚しています。

地域コミュニティーを維持し、教育福祉をはじめ市民生活を支える行政機能を維持し、そして産業振興策をなにがなんでも講じていかなければならない――。これが下関市が直面している課題だと思っています。こうした閉塞感を打開するために、リーダーシップを発揮すべき行政や議会はどうあるべきなのか、存在意義が問われています。

みなさんのもとを回るなかで批判意見として強かったのは、行政や議会の危機意識が乏しく、市民の暮らしにとって必要な予算は削られていく一方で、今必要なのかと思うような開発には湯水の如くお金を注いでいる行政のあり方でした。先の市長選はまさに個別利害のぶつかりあいのような様相を呈しましたが、下関市政は安倍事務所のものでも林事務所のものでもなく、「下関市民の暮らしのためになければならないものだ」というあたりまえの道理が、どこかに置き去りにされてはいないでしょうか。これは誰を見て政治をしているのか、という問題にもつながります。国政を見てもそうです。馴れあいや惰性を基本にした右へならえではなく、あくまで是是非非を貫き、下関市政に民主主義を貫いていく――チェック機能としての役割を果たしていく――。私はこの間の後援会活動のなかで、このことをみなさんに約束してきました。


国政であれ、市政であれ、政治を司る者は誰であれ、個別利害の代理人ではなく、「公」のために働かなければなりません。

下関市民の会は歴史的に学校給食の実現や、ゴミ袋値下げ運動など、市民生活に根ざして要求を束ね、政策としても実現してきました。夫婦共働きの家庭が増えるなか、急増している児童クラブの体制や保育行政を充実させること、トイレットペーパー代まで父母負担というような、他市からみても驚くように少ない教育予算を充実させること、少子高齢化と空洞化が著しいなかで、もっと地域に分け入って実状を捉え、子ども食堂や高齢者世帯の支援にかかわることなど、やるべき課題は山積しています。個個バラバラの状態で放置されるのではなく、人と人をつなぎ、具体的に市民生活の困難や実状を把握し、解決に向けて能動的に動くことが求められていると思います。


また対市政だけでなく、下関をよくしていきたいと願う人人と力をあわせ、安岡沖洋上風力発電のような住民の暮らしを脅かすもの、市民の不利益になるものについても、住民の願いを代表する側で身体を張ることが役割です。

陣営では、「この選挙は本池涼子の個人戦ではない。団体戦である」を合言葉にして、みんなで一丸となって準備してきました。「個」ではなく「公」を代表していくというのが先輩方から教えられた大切な原則です。市民の思いを議会に届ける――そのためにはいかなる権威に対しても遠慮せず、あからさまに物申していく決意と覚悟が必要なのだと自分にもいい聞かせています。一人よがりではなく、人と人をつなぎ、みんなの力を支えにやっていく、市民生活の向上のために献身するという政治姿勢を貫きたいと思います。

選挙戦では、この間繋がってきたみなさんとともに、今まで政治に関心をもったことのない若い世代や、毎日の生活や子育てに一生懸命なお母さん方、なにより選挙に行かないという人人にこそ、訴えが届くように頑張りたいと思います。街頭演説を旺盛にとりくみ、やるからには持てる力を出し切って、思い切ってぶつかっていきたいと思っています。一人ではなくみんなでつながって政治を動かしていく、その第一歩にできるよう、全力で頑張ります。

(2019年1月18日)