経済委員会視察のご報告① 青森市のスタートアップ支援事業の現状

青森スタートアップセンター(青森市)

7月8~10日にかけて、経済委員会の視察で青森県の青森市と栃木県の宇都宮市に行ってきました。豪雨などもあり遅くなりましたが、青森市での視察から報告します。視察テーマは「スタートアップ支援事業のとりくみについて」です。

スタートアップとは?

「スタートアップ」とは、「創業」「起業」と同じように使われることもありますが、経済産業省によると、「1、新しい企業であって、2、新しい技術やビジネスモデル(イノベーション)を有し、3、急成長を目指す企業」ということだそうです。

内閣府や経済産業省が強力に進めており、「スタートアップ育成5か年計画」を2022年に策定し、2027年までの5年間でスタートアップへの投資額を10倍にするとしています。そのもとで地方でもスタートアップ支援の事業が進んでいるという関係です。地方自治体としては高齢化、人口減少、産業衰退などが深刻な課題となっていますので、こうした課題の解決にスタートアップを活用していくことを狙っているようです。(※詳しく知りたい方は経済産業省スタートアップで検索してみてください)

下関市でも前田市長のかけ声のもとで昨年度からとりくみが始まっており、今年度からは国からの補助金を使いながら「本格的に」スタートアップ支援事業を始める計画でした(令和6年度当初予算額は2050万円)。ただ、予算に関して議決後に変更があり、国の補助金が採択されずあてにしていた1000万円が入らなくなり、400万円積み増しして市の財源1400万円で事業を進めることになっています。

テーマについては委員長の判断で決まり、先進地の事例を学ぶというのが今回の視察の目的で、青森市は「先進地」として産業振興部より紹介を受けたとのことでした。そうした経緯で「AOMORI STARTUP CENTER(青森スタートアップセンター)」にて、青森市のしごと創造課の職員の方より説明を受けてきました。

青森スタートアップセンターは青森商工会議所の1階にあり、青森県東青地域(青森市、平内町、今別町、蓬田村、外ヶ浜町)の経済活性化を目的に、創業から経営までを一貫して支援する相談窓口です。内容としては、ビジネスプランの組み立て、創業手続き、資金調達、経営状況の改善まであらゆる相談に対応されています。施設の所有者は青森商工会議所で、運営は青森市と周辺地域を含んだ「東青ビジネスサポート協議会」で、ここが負担金を出しあって運営しています。

青森市がおこなっているスタートアップ支援は、2012(平成24)年5月の起業・創業等相談ルームの開設に始まっています。2018(平成30)年7月に青森商工会議所が駅前の現在地に移転し、青森市と商工会議所が「スタートアップの推進に関する連携協定」を締結し、市と商工会議所が連携してスタートアップ支援にとりくんでおり、相談窓口を青森スタートアップセンターに移転し、スタートアップ関連イベントの実施を始めます。2021(令和3)年10月に相談窓口機能をリニューアルし、起業・創業に加え、経営支援まで機能を拡充し相談内容に対応できる相談員(コーディネーター)を配置しています。このコーディネーターは全国から募集し、常駐3名体制で起業、創業、経営支援のさまざまな相談に対応しておられます。この窓口のリニューアル後は相談件数、創業件数ともに増加しています。

創業件数では2021(令和3)年が10件であったのに対し、2022年(令和4)年が101件、2023年(令和5)年が82件でした。ただ創業者業種別にみたとき、生活関連サービス(理美容、エステ、事務など)、宿泊・飲食サービス(居酒屋、キッチンカーなど)が約半数を占めており、その他を含めても大半がスモールビジネスで、スタートアップについてはなかなか上がってこないといわれていました。

スタートアップ支援をするうえで欠かせないのが「アクセラレータープログラム」というものです。カタカナばかりで申し訳なくなりますが、これは新しい技術であるスタートアップに対しVC(ベンチャーキャピタル)などの投資家を呼び込むための支援プログラムになります。起業・創業の場合は銀行から融資を受けることが一般的ですが、新しい技術には融資が難しく、新しい技術に目を付けた投資家たちの投資があって事業化にこぎつけます。

アクセラレータープログラムはそのためのもので、下関市でも来年度以降におこなっていくとのことです。青森アクセラレータープログラムに採択された企業が生産現場などで事業化の検証をおこない、その成果を東京のピッチイベントで発表し興味をもってもらえれば投資家から投資を受けられ、事業化できるというものです。

青森市では初年度の2021(令和3)年に8者、2022(令和4)年に9者、2023(令和5)年は6者を採択しており、具体的には、月面探査ロボットの技術を応用した農業用自動運搬ロボットの開発や、リンゴの残渣を活用したヴィーガンレザー「RINGO-TEX」の開発などが紹介されました。

地方でおこなうにあたっては「地域課題の解決」ということが目的になってきますので、アクセラレータープログラムをおこなっていくことに関しても、委託先の民間事業者に「丸投げ」ではなく自治体もかかわらなければならないことも多いといいます。つまり採択件数が増えるほど自治体側のマンパワー不足も課題になっていることがわかりました。

質疑のなかでは、スモールビジネスメインの「創業支援」と、それとは別物である「スタートアップ」を、どうすみ分けながらやっていくかが難しいということもいわれていました(大きな都市は「創業支援」と「スタートアップ」をわけています)。そもそも市としての「スタートアップ」の定義が定まっておらず、国のいう「スタートアップ」ではどうしても一つの市だけでとりくむことは困難で、ある程度の範囲が必要ではないかと思うとのべておられました。

国をあげてスタートアップ支援といっていますが、3年間やってきた青森市では地方ならではの難しさにぶつかっておられ、現在の「迷走」ぎみな状況が語られていました。

「外の人を積極的に入れていった方がいいのではないかという年度もあったし、(国の)地方創生推進交付金を入れてやっていたが(その期間が終わったので)、市のもちだしでやっている。市に対する恩恵が求められてくるので、市に対するメリットを明確にした募集要項にすると(スタートアップが)あがってこない可能性があるというジレンマ。あがってこないということはそもそもニーズがないのではないか…」。こうした財源に関するお話もあって、何度も「悩ましい」といわれたことが印象に残っています。

自治体がスタートアップを呼び込む意義としては「地域課題の解決」があり、地元企業との協業を生み出し、地域産業の活性化につなげることが目的です。先進地として有名な大都市とは違い、下関市や青森市は地方(本州のすみっこ)の小さな自治体です。農漁業地域を抱え、高齢化と後継者不足に現場が苦労しているという状況は大きく似通っていると感じました。

下関市の予定では、今年度にスタートアップ支援戦略を策定、来年度からアクセラレータープログラムを開始しスタートアップを支援していくためのコンソーシアムを設立。最終的には、スタートアップのノウハウ、資金、人が自然に回っていく「エコシステム」を構築していくといいます。聞いただけで頭がいたくなりそうな言葉がちりばめられているのですが、これが今全国共通で進められているのです。

青森にしろ下関にしろ、市職員の方の説明を聞く限りでは地域が抱えている課題になんとかつなげていきたいという真剣さは感じています。ただ、地方自治体がここまで本腰を入れてやることなのかとも思うもので、この事業によってすでににぎわっている方々とは誰なのだろうかと思ってしまいます。なにより産業の衰退が急速に進んでいる現実について、日頃から「市はもっと必死で働いている人たち、経済を支えている人たちを大事にしてほしい」「全力で支えてほしい」という声をよく耳にします。下関の現状を現場を歩いてしっかりととらえ、今市民がなにを望んでいるのか、なにをしなければならないかを考えることなく進めるものでもないと感じています。すでにスタートアップ関連イベントは始まっており、事業者も決まっていますので、今後もこの事業の方向性はしっかりと見ていきたいと思います。

商業施設「AUGA」を視察

第三セクターが倒産し商業施設から市役所駅前庁舎へと用途が変わったビル「AUGA」(青森市)

青森スタートアップセンターでの視察を終えたのち、隣にある「AUGA(アウガ)」に行ってきました。ここは2001(平成13)年に商業施設としてオープンしたのですが、運営者であった第三セクターの青森駅前再開発ビル株式会社が債務超過に陥り、2017(平成29)年2月末をもって営業を終了しました。その後、青森市はここに市役所機能を移転し、現在は1階から4階までが市役所(主に窓口部門)、5階には青森市男女共同参画プラザ、6階~8階には青森市民図書館、青森公立大学「まちなかラボ」などが入っています。つまり、地下1階の「青森市場」を除くと全館が青森市の施設となっています(図書館などはもともと入っていたようです)。駅前再開発をした背景には豪雪による除雪費用の負担などもあったそうですが、再開発後人口減少や郊外型商業施設との競争にさらされ業績悪化に繋がったことなどが紹介されています。駅前庁舎の中も見ましたがとても他人事とは思えませんでした。

青函連絡船と戦災の碑

可動橋と展示されている青函連絡船「八甲田丸」

青森市役所から徒歩で10分ほどの場所に、1908(明治41)年から青函トンネルが完成した1988(昭和63)年までの80年間にわたって本州と北海道を繋いできた青函連絡船「八甲田丸」(1964年就航)が展示されていました。

1924(大正13)年建造の「翔鳳丸」以降はすべて鉄道車両(貨車)を搭載する「車両航送船」で、可動橋から船内に敷設された線路を通じて貨車がそのまま積載されていました。写真は可動橋から八甲田丸の船尾を撮影したものです。「八甲田丸」のほか、函館側には青函連絡船「摩周丸」があり、2隻の青函連絡船と可動橋は機械遺産として大切に保存・展示されています。

可動橋のそばには、「青函連絡船戦災の碑」(2005〈平成17〉年7月14日建立)がありました。第二次世界大戦のさなか、国内の輸送船が外地へと送られたために、青函連絡船は産炭地である北海道からの石炭輸送を担っており、青森市は各地の軍需工場に石炭を送り出す輸送拠点となっていたそうです。1945(昭和20)年7月14~15日と8月10日、アメリカ軍が青森湾、函館湾、津軽海峡で青函連絡船を爆撃し青函連絡船は全滅。乗員乗客424名の人命が失われ、そのなかには14~15歳の船員養成所の生徒たちも含まれていました。今も津軽海峡には「津軽丸」「第三青函丸」「第四青函丸」が沈んでいます。こうした事実と沈没地点が「戦災の碑」には記され、この悲劇を後世に語り継ぐこと、犠牲となった方への哀悼の思いが刻まれていました。私たちが青森を訪れた数日後の14日には慰霊祭がおこなわれたようです。

この碑を設置したのは「青森戦災・空襲60周年事業実行委員会」で、青森市民図書館がこの碑を含めた市内の碑やモニュメントを「戦争遺跡マップ」で一目でわかるように紹介しています。風化させてはならない史実をこうした形で現地に残していることについて非常に感銘をうけました。

下関市は第二次世界大戦中、要塞都市とされ、アメリカ軍の爆撃を幾度も受けているほか、全国に落とされた約1万発の機雷のうち半数にあたる約5000発が関門海峡に投下され、関釜連絡船などの大型船から5000㌧以下のものまで約5000隻もの船が多くの人々と沈没・座礁したそうです。こうした事実や継承について、下関市では大事にしているとはいい難く、市民自身が知ろうとしなければ知ることができない状態です。この場所でかつてどんなことが起きたのかを知ること、悲惨な体験をくり返さないためにも、歴史の継承は重要なことだと思います。青森市のこうした碑や遺構の保存については今後に生かしていきたいと感じたところです。

(②につづく)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です